カラダといった不健康の配分は、ゲームがあるかによるのでは

カラダを突き詰めて考えすぎる恐れについて、今どきさっと企てるようになりました。
たとえば、健康になりたい一心で、カラダ法を必ず知ろうと努力していくと、断然その道程で、身の回りに存在している不健康なディナー、不健康な物などの見識を得なくてはいけなくなります。そうして、その見識に忠実であろうとすればするほど、今度は、その事例に結構縛られてしまう。ここで、とある割合をもちまして、少しの遊戯をもたせて、自分にあったスタイルを見つけていただけるといううまくいくでしょう。逆に、自分に足りない先、自分の不カラダさ、などに核心がシフトしていってしまうと、大きな不満になってしまいます。そうして、不満は言うまでもなくカラダを害する要因になります。
俺は、自分の見聞きによって、そのことを感じています。そうして、なんだか耐え難いことだなと感じます。なぜなら、それでは、元来不満が貯まるんだったら、最初からやらなくてもすばらしいや、というのもまた極論で、望ましい裏道ではないといったわかるからです。なので、本筋はとことん自分で健康になるためのテクニックをいくつか用意し、信頼し、面白く槍続けていく、その一方で遊戯の割り当てをもうけて、ときには大きく裏道をはずしても良しと考える。そのくらいがいいかなと思います。長い目で見ると、本筋がしっかりしていれば、ちっちゃな不確かはさほど影響はないはずですから。当然、本筋を失っては、なりませんが。
当然、これを書きながら、昨晩の不摂生を自分で慰めていらっしゃるだけだって言われそうですが。拒絶はしませんよ。こんな感じでバランスよく、いきたいものです。ミドリムシのサプリメントに副作用はあるの?どうなの?